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サンシャイン・スキューバの歴史 |
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1991年 5月1日 |
大阪生まれで大阪育ちの「マジシャン・モト」と神戸生まれで神戸育ちの「おかみ・キヨ」がサンシャインスキューバをオープン!! ショップオープンまでの準備期間は2年間でした。息子の
「ケント」がこの年の2月22日に誕生!!
だからわかりやすい。ケントとサンシャインは同い年。ショップは超ヒマでしたが何もかもが初体験ばかりで楽しかったですよ。
そうそうケントは生まれた時体重が5370グラムもありました。 *広告をいっぱい出しているのにお客様のお申込みは無し、やっとかかって来た電話に張り切って「サンシャインスキューバです」と答えると「ボク、ボク、モトだよ」と聞きなれた声が。今まで横で掃除機をあてていた筈のモトでした。「どうしたの?」と聞くと「あまり電話がかかってこないので、ひょっとしたら電話器が故障しているのではと思い 、外から公衆電話でためしてみたんだ」と、ノー天気な答に救われました。 |
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| 1992年 | PADIファイブスター・ダイブセンターになりました。サンシャインを育てていくことに専念していました。「ダイビングの後にマジックショーを見ることができるユニークなショップ」として話題になり、いろんな雑誌で取り上げられ、たくさんのお客様がいらっしゃるようになりました。でも赤字でしたよ。
*忙しくてもスタッフがいなくて「おかみ」もイッパイ、イッパイ、ちから仕事のヘルプをしていたら、ある日若手インストラクターがノースショアへ出発する直前にお腹が痛くなり運転ができない状態。「エエ〜イ、人に出来て私に出来ないものは無い」とぶっつけ本番で15人乗り大型バンを運転。お客様が怖がるといけないので平然としていましたがハンドルをちからイッパイ握っていたので帰ってきた時、手のひらを見たら真っ赤でした。翌日からは
「おかみ」もドライバーになりました。 |
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| 1993年 | 本格的にインストラクター・コースに力を入れ始めPADIファイブスターIDセンターとなりました。ハワイに日本人コースディレクター、「モト・シノマエ」がいることを広めるためダイビング専門月刊誌「ダイビングワールド」にたった半ページでしたが広告を始めました。毎月の大きな出費には結構勇気がいりました。
*「ケント」はまだまだベービーで、ショップで若い女性たちのお尻をさわっても「可愛い〜」と抱きしめられるのを見た「モト」が「ボクがさわったら犯罪ですよね〜」と言い「
トーゼン!!」と皆で大笑い。お客様の90%がリピーターかご紹介ということに気づき有りがたいことだと感謝!! |
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| 1994年 | 第1回ショップ拡張!! 念願のクラスルームができました。年間インストラクター合格者50名突破!! 死にそうになるほど忙しくなりました。気がついたら「モトとおかみ」はグリーンカードを取得していました。さらにたくさんのお客様が来られるのにまだまだ赤字でした。
*広いと思っていたショップがどうにもこうにも狭くなり広いところを探さないといけないのかなと話していましたがいい案も無く、「何とかならないか、何とかならないか」と日夜思い続けていましたら或る日突然、後ろのスペースが空きました。2日間の突貫工事でクラスルームが出来、「これは人間技ではない
、願えば叶う」と神様に感謝!! |
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| 1995年 | さらにインストラクター・コース発展!! あまりの忙しさにこんなに働いて何が残るのかと先人にお聞きしましたら「のれんが残る」と言われ「???????」でしたが今になればわかります。 *サンシャインを始めるときに「モト」が「キヨは家で子育てをしてテレビでも見ていたらいいよ」と言ってくれた言葉は二人ともすでに忘れ去っていました。このころは インターネットがなかったもので圧倒的に電話でのお申込みが多かったです。それも夜中でした。「おかみ」がいつもウグイス嬢のごとく?サワヤカな声で応対するもので「いつ寝るんですか?」と聞かれ「24時間寝ないんですよ」と答える日々でした。 |
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| 1996年 | 5周年記念パーティー!! 第2回ショップ拡張!! 本格的クラスルーム完成!! サンシャイン・インストラクターコース第1期生の「シマ」がマネージャーとして入社。年間日本人インストラクター合格者数「世界ナンバーワン」としてPADI本部から表彰されPADI CDCのショップとなる。(インストラクター養成において世界で最も優秀なショップであるという称号)
*5周年パーティーに来てくださった皆様が口々におっしゃることは「ここまで持つとは思わなかった。おめでとうございます。」でした。「なんで???」 つぶれると思わなかったのは、どうも
「おかみとモト」だけだったようです。 |
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| 1997年 | サンシャインからのインストラクター合格者数が年間92名となりPADI本部より、またまた表彰される。年4回のIDC開催数が年6回となる。モトがワイキキのホテルのディナー・ショーのクローズアップマジシャンのメンバーとなりプロマジシャン・モトが誕生する。
*卒業生のお一人に「モトさ〜ん、どこかおもしろい所はないでしょうか?」と聞かれた「モト」は「そうだね〜、シーライフパークはどう?イルカが見れるよ、それからワイキキには動物園もあるし水族館もあるよ。」と答えて「違いますよ〜僕の言ってるのは可愛い女の子たちと知り合えるところです」と言った彼に「聞く相手を間違えているよ」と周りにいた人たちが言いました。 |
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| 1998年 | サンシャインスキューバからのPADI IDCスタッフインストラクター年間合格者数世界1と言われまたまたビックリ。さらにPADI本部よりアメリカで5店舗のみに授与される「PADIアドベンチャー・ディスプレイ賞」を受賞!! 「モト」がオール・ハワイ・クローズアップ・マジックコンテストで堂々の第2位受賞!!
*「モト」がいつ頃からマジックを始めたのかとよく聞かれますが「おかみ」が日本で知り合った頃から種のあるマジックはしていましたね。まだまだ下手でしたがおもしろかったです。ギャグで知らない人に催眠術などもかけたりして本当にかかってしまって解くのに四苦八苦したこともありました。とにかく日本にいるときからおかしな人でした。 |
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| 1999年 | サンシャインスキューバより年間130名のインストラクター誕生!!年7回のインストラクターコース開催となる。息子の「ケント」が8歳でオール・ハワイ・マジックコンテストのクイック・マジック部門でアッパレ「審査員特別賞」受賞!!
*「おかみとモト」が二人でアメリカへ出てきたのが1988年で、まずフロリダに行き、そこで「モト」がインストラクターになり、早10年が過ぎたんですね。全然英語も話せなかったですし、ビジネスもする気などなかったですし「10年前には誰もこんなことになるとは思ってもいなかったでしょうね」という
「おかみ」に「ボクも思わなかったよ」と答える「モト」でした。確かに!! |
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| 2000年 | 5年連続日本人インストラクター&IDCスタッフ・インストラクター合格者数「世界1」と言われ「継続は力なり」を実感しました。 ショップを閉めたいと思ったときには即閉められるようにいつも身軽にとの思いで始めたサンシャインですが2000年の時を心新たに迎えました。
*「おかみとモト」は不思議な縁でハワイにいるんです。フロリダでインストラクターになったのでハワイに就職先を探しに二人で来て、その日にワイキキビーチでアメリカンの
「トム&ジャンご夫妻」に声をかけられ話していたら「君たちオモシロイネ〜、今夜我が家でサンセット・ディナー・パーティーをするので来ないか?」と誘われ「ハ〜イ」なんて言って気軽に参加したんです。そうしたらその当時日本はバブルでハワイもバブルでソウソウたるメンバーが来られていて、その方たちが口々に「あなたたちみたいに英語と日本語ができてインストラクターの資格など持っていたらハワイに来たら億万長者よ」なんて言われ、ついその気になったのがきっかけなんですよ。 |
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| 2001年 | 10周年記念パーティー!! サンシャイン・スキューバ卒業生から今までに10名以上のPADI コースディレクターが誕生!! この後も続々と誕生し続けています。マネージャーの「シマ」がグリーンカードを取得!!
*フロリダに行ったのも不思議な縁で「おかみ」が日本にいた頃に知り合いの方を訪ねて香港へ行ったんですね。市内観光から帰ってきてラウンジでお茶を飲みましょうということで入っていくと隣の席にアメリカンの中年のご夫妻がいらっしゃって「一緒に飲みましょう」と声をかけてこられたのです。
「おかみ」は英語が全然ダメで友人は香港警察の通訳をしていて英語、日本語、中国語がしゃべれるんです。でも何だか楽しくしゃべっていたら「あなたオモシロイネ〜、是非我が家に来なさい」と言われ「どちらですか?」とお聞きしたら「マイアミ」と
言われマイアミがどこにあるかも知らなかった「おかみ」ですが響きがいいので思わず「行きま〜す」と返事をしたのです。 |
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| 2002年 | お客様にお出しするランチとHPの作成それと経理関係をするために我が家と同じコンドミニアムの一階下にオフィスをオープンしました。これで仕事とプライベートは切り離せると思ったら24時間オフィス勤務になってしまいサンシャインのHPは「毎日更新」となりました。 「シマ」がPADI 本部より優秀コースディレクターとして表彰されました。 *香港から帰国して1ケ月ほどしたら「コンラッドご夫妻」からプール付きの豪邸の写真と一緒に招待状が送られてきたのです。間取り図もついていて、この部屋を使ったらいいからなんて書かれていました。だから 「おかみ」が当時つきあっていたボーイフレンドに「私会社を辞めて1年位フロリダに行って来るわ」と言うと「アッ、ボクも丁度会社辞めて1年位フロリダに行こうと思っていたところなんだ」と言ってついてきたのが 「マジシャン・モト」なんです。 |
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| 2003年 | 現在日本人のインストラクターで活動している7人に一人がサンシャイン卒業生だとお聞きしビックリしました。皆様活躍されていて嬉しい話です。「シマ」に長男 「ホク」が誕生しました。「シマ」がサンシャインの副社長に就任。「おかみのキヨ」が民謡舞踊を習い始めました。 「ケント」が中学生になり、声変わりしました。なんだか身長の伸びが早いこと、すでに「おかみ」(162cm)を超えました。 *「モト」と「シマ」はうま年で一回り違い、「ケント」と「ホク」は羊年で一回り違い、「モト」と「シマ」が37歳の時に長男誕生と、偶然とは言え共通項が多くて 「シマ」大喜び。そういえばコースディレクターでしょ、グリーンカード取得でしょ、髪の毛でしょ、でも「シマ」は「亭主関白」で我が家は「かかあ天下」で、マアそのうち 「シマ」のところも、、、、、、、、 |
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